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『アオとシオリ』 吉川 諒監督 メールインタビュー

Q1. まず『アオとシオリ』について、制作された経緯を教えてください。


専門学校の一年次、映画を制作する授業があり、そこで監督できることになったのが理由です。その当時の僕は誰に対しても距離を感じており、その理由がどこからくるものなのか映画を制作する中で考えたいと思っていました。
 


Q2. 主演された芋生悠さん、根矢涼香さんは現在ではそれぞれ様々な場で活躍されていますが、それぞれの俳優をキャスティングする際にどのように選んでいましたか?


根矢さんの事は出演されていた映画を拝見したことがあり、その時から存在感の強さに魅了されていました。芋生さんについては根矢さんのツイートで一緒に写っている写真を見たことがきっかけで知りました。おふたりともその当時からプライベートで仲が良く、映画の中に出てくる女性ふたりの関係性の変化などを繊細に演じていただけるのではないかと思いオファーさせていただきました。現在ではその当時以上におふたりとも活躍されており、思えば凄く贅沢な体験でした。
 


Q3. 第5回海に浮かぶ映画館で上映した当時、船という場所で上映した時の感想、船で映画を見た感想などを改めて教えてください。


当時、学内での上映しか経験がなかった僕にとって、多くの人に観てもらうこと自体が初めてだったということもあり終始緊張していました。と同時に海の上という特殊な上映環境では船が波によって揺れたり、波音や車の走行音など外部の環境音も聞こえてきたりするので、それがどこか居心地よく自分の映画の上映以外は緊張が解れました。
また第7回海に浮かぶ映画館でも自作を上映していただき、8mmフィルムを映写機で上映する際に生じる揺れと船の揺れが合わさり、前回以上に特殊な上映環境を醸成していました。

 


Q4. 『アオとシオリ』を制作後も、自身の祖母との関係を映し8mmフィルムで制作された『抵抗の跡』など精力的に映画を撮り続けていらっしゃいます。吉川監督にとって映画を作ることとはなんですか?


専門学校で映画について少しばかり触れ、今に至るまでに自分の中で少しずつ変化があったように思います。映画を特権的なものとしてではなく、より生活のレベルに落として撮り続けたいという願望が生まれたことです。
祖母の事を撮る為に地元へ戻ったとき、当初は劇映画にする予定だったので、キャストやスタッフは東京から来てもらいました。しかし限られた予算と時間の中で祖母に負担を与えてしまい、本当にこの映画を撮り続けていいのだろうかと考えるようになり、「抵抗の跡」では撮影に関していうとあまりいい思い出はありません。
俳優ではない祖母を、劇映画の慣習に即して時間をかけずにカメラを近づけて撮る事はできないのだと理解した時に、自分の撮影方法がとても傲慢であるように感じました。
また自分がよく知っていると思い込んでいた土地の変化を撮影時に感じ、これは数ヶ月かけて撮影し東京に戻って編集したところであまり意味がないのではないかと思うようにもなり、地元に戻って制作をすることにしました。
映画を作るとは何か、という問いの返答になっているかわかりませんが、映画を通して、いつもより意識的に見たり聞いたりしながら、世界を再構成したいという思いが強くあります。

 


Q5. 2020年、コロナウィルスの感染拡大によってそれぞれに状況が変化した1年でした。吉川監督の中で映画に対する心境の変化、あるいは生き方に対する心の変化などはありましたか?


変化でいうと、緊急事態宣言が発令された時、町から人が消えてしまったわけですが、それでも映画は作れてしまうなと感じました。リモート映画ではなく、いつもより少し静かな町に出てカメラを回してみると、そこには充分に映画足り得る出来事で溢れていました。
ただ、ここ最近はそれを踏まえた上で、やはり人を撮りたいという思いが自分にはあるのだと再確認しました。

 


Q6. 2020年という変化の多い年を越えて、2021年はどのような活動をしていこうと思いますか?


現在、架空の誰かに向けた映像による手紙と、架空の誰かに向けた音による手紙が交錯する様な作品を準備しているので、2021年には完成できるよう頑張りたいです。
あとは少しずつ場所を変えながら、自分の中心となるような土地を探したいという思いがあるので、もう少し自由に動き回りたいです。

↓『アオとシオリ』の視聴ページはコチラ

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